2005年10月26日

ロッテが圧倒的大差で日本一

冒頭はニュースっぽく書いてみます。

千葉ロッテマリーンズvs阪神タイガースの日本シリーズ第4戦が甲子園球場で行われ、ロッテが3−2でシリーズ無傷の4連勝、1974年以来31年ぶり3度目の日本一に輝いた!!
なお、日本一になった千葉ロッテマリーンズは、11月10日から行われるアジアシリーズに
出場する。
[号外]千葉ロッテマリーンズ、31年ぶりの日本一【Yahoo!スポーツ】
KONAMI CUP アジアシリーズ2005公式サイト

千葉ロッテ、凄まじい強さでしたね♪あんなの勢いではありません、実力そのもの!
さすがはホークスと死闘を演じてのパ・リーグチャンピオン、大したものです!!


おめでとう!マリーンズ!!




一方、阪神・・・。ここまで力の差を見せ付けられた以上、日程が空いてたから調子が
上がらなかったなんて言い訳は無しですよ。去年の中日だってちゃんと3勝したんだから。

それと、両チームには関係ないけど、今日はずっと気になっていたことを書いておきます。
マスコミは最後まで一生懸命阪神を擁護する、情報操作まがいの情報を流し続けていたけど
あれは本当に聞いてて頭にきた!!特に第3戦のアナウンサーなんか何ですか?あれは(激怒)

ゲスト解説者で来てた中日・谷繁に一生懸命「日程が空いてたときの調整は難しい」みたいな
主旨のことを言わせようとしてたけど、あんなんマリーンズに失礼やん!!てかパに失礼!!
ま、賢明な谷繁は「初戦に合わせて調整した」ってはっきりと言ってたんで、何だか
救われた気持ちになったけどね。もうあんなアナ全国中継でしゃべらせんな!!こんバカチンが!!

・・・・・・。ちょっとエキサイトしちゃいましたね(;´▽`A`` 話を戻します。
ホークスが激闘の末、プレーオフで敗れました。そのホークスの上に立って試合をする両チーム。
私はプレーオフ以上の、競ったスリリングな日本シリーズを期待していました・・・。
それが結果は、圧倒的大差のついた試合が連続した末の、千葉ロッテ4連勝です。

・・・はぁ〜っ。え〜・・・中立な目で見ている野球好きとして、一言書いてもいいですか?





私が見た日本シリーズの中で

最低のシリーズ!!つまんない!!


まぁ〜だからと言って、阪神の素晴らしいリーグ優勝の価値が下がることは決して無いのだが
10−1、10−0、10−1、3−2のスコアを見ると、どう見てもちょっと・・・って感じ。
スリリングな雰囲気が無かったかな?今年の日本シリーズは。期待が大きかった分、相当がっかり。
千葉ロッテの強さにはビビッたけどね・・・。でもホークスにとって格好の目標ができたね♪
来年は見てろよ千葉ロッテ!!絶対倒してやる!!と強く思った日本シリーズでした。
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posted by 国王 at 22:34| 福岡 ☁| Comment(8) | TrackBack(25) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

男・田口昌徳のプロ生活

昨日(25日)の夜にこの話題の記事を書いていたのですが、悲しみのあまり?ワーワー叫び散らす
ようなグチャグチャな文章になったので、落ち着いた上で改めて書いてみることにしました。

まずはこのニュースから ⇒ 田口、松らに戦力外通告(日刊スポーツ九州)

・・・え?・・・うそ?すでに予想はできてたけどついにこの日がやってきた・・・。




男・田口に戦力外通告(号泣)



・・・・・・。お笑いキャラが消えて悲しすぎる・・・。とりあえず、田口のことだけ書きます。

今年の城島のケガの間、本来代役を務めるべきだった田口の不振。そしてウクレレ侍若手捕手の
台頭もあり、出場機会を失った田口。ポスト城島を巡って来年のホークス正捕手争いが
始まろうとするこの時、1人のベテラン捕手が早くも敗れ去る格好となった。
今では生え抜きのような雰囲気を醸し出している田口だが、思えばいわゆる「外様」選手だった。

92年、駒大で好投手・鶴田泰(元中日)とバッテリーを組んでいた田口。
同年、日本ハムからのドラフト4位指名でファイターズに入団。私の記憶が確かならば
『即戦力捕手』としての触れ込みでの入団だった。※ 曖昧な記憶で書いてごめんなさい。

94年、2年目でプロ初出場を果たすと、3年目には当時ファイターズ不動の名捕手・田村藤夫を
押しのけ、第一捕手の座(正捕手とまではいかない)を奪った。田口は当時からさっぱり打てない
捕手ではあったが、安定したリードとキャッチングで首脳陣の抜擢に応えていた。
一方、正捕手の座を追われた田村は96年にロッテへトレード。翌96年オフにFA宣言をし
『城島の教育係』としてホークスに入団。城島が正捕手になった後、98年に引退。
(田村本人は当時、外野からの「教育係」という声を否定していた)

こうしてファイターズの正捕手となった田口。キャンプ中にも「限りなくスキンヘッド」な頭にして
新聞やテレビに話題を振りまくなど(私は新聞で写真を見て爆笑しましたね♪)徐々に
知名度を上げつつあったが、98年に日本ハムの環境が変わりはじめる。
いま一つ成績が上がらず伸び悩んで田口に物足りなさを感じたのか、日本ハムはこの年
ヤクルトから、古田に次ぐ「レギュラー級控え捕手」野口寿浩(現:阪神)を獲得。
野口は瞬く間に田口を押しのけ正捕手を奪取、オールスター出場まで果たす大活躍。

追い討ちをかけるように、この年(98年)のオフ。日本ハムはドラフト1位としては珍しい
高卒捕手(実松一成・佐賀学園)を獲得。いよいよ田口には厳しい状況となる・・・。

出場機会が年々減っていく中、田口に転機が訪れる。2002年、城島がケガで戦列離脱した
ホークスは手薄な捕手を補強するため、前年にホークスの代打として活躍した林と緊急トレード。
奇しくも、日本ハム時代に田口自身が正捕手の座を追いやった田村と同じルートを
たどることとなる。役目は田村と同じ「城島のバックアップ」。
そして田口はここから3年半、ホークスの一員として働くこととなる・・・。
その後のホークスでの芸能活動はホークスファンの皆さんなら、よ〜く知ってるはず(笑)

2番手捕手でありながら、ホークスには「スーパーキャッチャー・城島」の存在があったため
「オフの主役」とか「ベンチに座り続ける1年当たりの時間が12球団最長の一軍選手」
とか、色々と賛辞なのか批判なのかさっぱり分からない(笑)奇妙な表現で言われ続けた田口。
プロ選手としては決して大成していない、典型的な「2番手捕手タイプ」だったかもしれない。

でもね。私はボテボテの内野ゴロを、10000%アウトなのに鈍足で懸命に走っている姿や
城島の穴埋めと言われながら奮闘していた姿、ガンガン練習している姿に、疲れているような
時でもファンサービスを行おうとする田口の姿勢には、他のホークスファンと同様、非常に
好感が持て、好きな選手でもありました。

ある日のホークス練習終了後。その時まで特定の選手に興味がなかったのに、練習後の田口に
思いがけず抱いてもらい、ビックリして鼻の穴がデッカくなる(笑)ほど興奮した出来事が
きっかけでたちまち田口がお気に入りになり、それ以後田口の絵を描いたり22番グッズを
集めたり、終いには左打ちなのに田口のフォームで打つようになったチビッ子を私は知っています。

年齢的な面を考慮すると、恐らく獲得を望む他球団は無いと思われる。(あったら驚くよ!)
記録には残らないが、ホークスファンの
記憶に残る男・田口昌徳。最後に国王得意の?歌で書き終わります。

♪力込め 鋭い 打球を飛ばせ

田口 今 振り抜け スタンドに運べ♪


男・田口のことは忘れないぞ〜っ(涙)それと、サインを何回も書いて貰ってゴメンナサ〜イ!?
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posted by 国王 at 17:20| 福岡 ☁| Comment(5) | TrackBack(12) | 2005年ホークス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする