ようなグチャグチャな文章になったので、落ち着いた上で改めて書いてみることにしました。
まずはこのニュースから ⇒ 田口、松らに戦力外通告(日刊スポーツ九州)
・・・え?・・・うそ?
男・田口に戦力外通告(号泣)
・・・・・・。
今年の城島のケガの間、本来代役を務めるべきだった田口の不振。そして
台頭もあり、出場機会を失った田口。ポスト城島を巡って来年のホークス正捕手争いが
始まろうとするこの時、1人のベテラン捕手が早くも敗れ去る格好となった。
今では生え抜きのような雰囲気を醸し出している田口だが、思えばいわゆる「外様」選手だった。
92年、駒大で好投手・鶴田泰(元中日)とバッテリーを組んでいた田口。
同年、日本ハムからのドラフト4位指名でファイターズに入団。私の記憶が確かならば
『即戦力捕手』としての触れ込みでの入団だった。※ 曖昧な記憶で書いてごめんなさい。
94年、2年目でプロ初出場を果たすと、3年目には当時ファイターズ不動の名捕手・田村藤夫を
押しのけ、第一捕手の座(正捕手とまではいかない)を奪った。田口は当時からさっぱり打てない
捕手ではあったが、安定したリードとキャッチングで首脳陣の抜擢に応えていた。
一方、正捕手の座を追われた田村は96年にロッテへトレード。翌96年オフにFA宣言をし
『城島の教育係』としてホークスに入団。城島が正捕手になった後、98年に引退。
(田村本人は当時、外野からの「教育係」という声を否定していた)
こうしてファイターズの正捕手となった田口。キャンプ中にも「限りなくスキンヘッド」な頭にして
新聞やテレビに話題を振りまくなど(私は新聞で写真を見て爆笑しましたね♪)徐々に
知名度を上げつつあったが、98年に日本ハムの環境が変わりはじめる。
いま一つ成績が上がらず伸び悩んで田口に物足りなさを感じたのか、日本ハムはこの年
ヤクルトから、古田に次ぐ「レギュラー級控え捕手」野口寿浩(現:阪神)を獲得。
野口は瞬く間に田口を押しのけ正捕手を奪取、オールスター出場まで果たす大活躍。
追い討ちをかけるように、この年(98年)のオフ。日本ハムはドラフト1位としては珍しい
高卒捕手(実松一成・佐賀学園)を獲得。いよいよ田口には厳しい状況となる・・・。
出場機会が年々減っていく中、田口に転機が訪れる。2002年、城島がケガで戦列離脱した
ホークスは手薄な捕手を補強するため、前年にホークスの代打として活躍した林と緊急トレード。
奇しくも、日本ハム時代に田口自身が正捕手の座を追いやった田村と同じルートを
たどることとなる。役目は田村と同じ「城島のバックアップ」。
そして田口はここから3年半、ホークスの一員として働くこととなる・・・。
その後のホークスでの
2番手捕手でありながら、ホークスには「スーパーキャッチャー・城島」の存在があったため
「オフの主役」とか「ベンチに座り続ける1年当たりの時間が12球団最長の一軍選手」
とか、色々と賛辞なのか批判なのかさっぱり分からない(笑)奇妙な表現で言われ続けた田口。
プロ選手としては決して大成していない、典型的な「2番手捕手タイプ」だったかもしれない。
でもね。私はボテボテの内野ゴロを、10000%アウトなのに鈍足で懸命に走っている姿や
城島の穴埋めと言われながら奮闘していた姿、ガンガン練習している姿に、疲れているような
時でもファンサービスを行おうとする田口の姿勢には、他のホークスファンと同様、非常に
好感が持て、好きな選手でもありました。
ある日のホークス練習終了後。その時まで特定の選手に興味がなかったのに、練習後の田口に
思いがけず抱いてもらい、ビックリして鼻の穴がデッカくなる(笑)ほど興奮した出来事が
きっかけでたちまち田口がお気に入りになり、それ以後田口の絵を描いたり22番グッズを
集めたり、終いには左打ちなのに田口のフォームで打つようになったチビッ子を私は知っています。
年齢的な面を考慮すると、恐らく獲得を望む他球団は無いと思われる。(あったら驚くよ!)
記録には残らないが、ホークスファンの
記憶に残る男・田口昌徳。最後に国王得意の?歌で書き終わります。
♪力込め 鋭い 打球を飛ばせ
田口 今 振り抜け スタンドに運べ♪
田口 今 振り抜け スタンドに運べ♪
男・田口のことは忘れないぞ〜っ(涙)それと、サインを何回も書いて貰ってゴメンナサ〜イ!?